アルミ缶の上にたくみかん

アルミ缶の上にたくみかん

日本百名山を中心に単独登山やドライブなどを書いた日記です。

Operation:トモダチ

明日は3月11。

またの名を3.11

またの名を






「あれから、7年」


記憶にある限り、大震災は3回あったとともう。
(1)阪神淡路大震災
(2)新潟中越地震
(3)東日本大震災

どれも多くの犠牲者を出して大変な状況だったけど、
やっぱり東日本大震災は忘れない。

それを冷静にしっかり受け止められるだけの年齢になったときに起こったから。

当時、僕は沖縄にいてその日は卒業研究で同じ研究室の同級生と学校のプールにいた。
なぜプールかって?
簡単だよ、水中ロボットの実験をしていたから。

その日は同級生の実験の手伝いで学校に来てたんだよね。

ちょうど実験が終わる頃になって同級生が携帯を見たら、東北地方で大地震があったって
速報が出てたと教えてくれたの。

でもね、それまでいろんな地震の速報が流れてたけどどれも震度が大きいのに
全然大したことなかったんだ。

だから今回も「大したことないよ」って言ったんだよね。


で、研究が終わって家に帰ってテレビ付けたら沖縄で1mくらいの津波に注意してって警報が出てて。
家のベランダから海が見えるんだけど、ちょうどパトカーが海岸沿に出てて拡声器で注意してて。

そこで、初めてすごいことが起こったんだなって実感した。

テレビ付けてもどの番組も震災のことだらけ。

千葉県のコンビナートが火災だとか、横浜かどこかのレンガの道に亀裂が入っただとか。
帰宅難民だとか。

その中でも印象に残ってるのは、どこかの住宅街で人が生き埋めになって夜まで
決死の捜索をショベルを使ってやってたとこ。
確か人らしきものを確認したとはあったんだけど、生死までは分からなかった。

そういう臨場的な描写をリアルタイムで受け取っただけにすごい記憶に残ってるのは確か。






それから何週間もテレビは震災のことばかり。
例のCMばかりだったのも然り。

大変な震災だっただけにたくさんの人が亡くなったし、被災者になった。
同時にたくさんの人が助けに向かってくれた。

そのうちの一つが外国による救助。

いろんな国が日本の震災のために駆けつけてくれた。

当時は全然知るよしなかったけどあとあとyoutubeで動画を観て感動した。
その一つがこの動画。


被災地から送られた『ありがとう』 "Thank you" that was sent from the stricken area

日本のために、被災者のために外国諸国がすぐに駆けつけてくれた。
すぐに物資を渡してくれた。
笑顔をくれた、元気をくれた。

いい意味でとんでもないことをしてくれたんだって思う。

自分もちいさいころから英会話スクールを通じて外国の人とを接してきただけに
やっぱその人柄とか優しさがすごいわかるの。
ほんとに困ってる人のために全力をあげてくれるってのがわかるんだ。

だから上の動画は毎回観て泣く。
ほんとに。冗談抜きで。

心に来るものがあるんだよね。

戦争も終わってただの国連の仲間でしか思ってなかったけど、
その作戦名が泣けてくる。

トモダチだから助ける。

そんなの当たり前じゃんか。

と。 何もそんなことは言ってないんだけどね、そういうことを映像で伝える姿に
感動した。

個人的にはこの世に当たり前なんて無いと思ってる。
あったとしてもそんな気持ちを持っちゃダメなんだよね。

お客様は神様だってのをお客様が持ったら意味がないというように。

困ったら国籍関係なく助ける。
もう少し細かくいえば誰それ関係なく助ける。
そういうことをこの動画から、この震災から学んだと思う。

自分は「ともだち」って言葉が好きじゃない。
やっぱり裏切られることもあるし、裏切ったこともあるし、そういう経験をしてきたから。
でもトモダチって何?って聞かれたときに僕は「本当に困ったときに手を差し伸べてくれる存在」と
言うだろう。それには金銭のものは含まれないが何かしらの形でささえるということを決めている。
そうできるだけの人をトモダチと呼びたいと思ってる。

話は脱線したが、明日で7年目を迎える東日本大震災
風化風化と言われているこのご時世でどうしても復興に伴って当時の状況が薄れつつあるから仕方ないのかもしれない、風化するというのは。
でもそのときにしてもらった人の優しさ、思いやりは絶対に忘れちゃいけない。
それだけは風化させてはいけない、いや、風化なんて概念はないんだよ。
その人がどう受け止めるかで変わってくるから。

自分は今、プログラミングという世界共通言語を学んでいる。
スキルなんて無いに等しいけど自分が持っている能力や体力で人が救えるなら喜んでやると思う。
そのくらいトモダチってのはかけがえのない存在なのだから。